宮大工の河島さんと屋台をつくる




その時は突然に、必然に、やってくる


 デザイナーはアイデアを求められる職業だ。以前の経験からくるアイデアで対応できる事もあればそうで無い時もある。そんな中でも店舗デザインは普通では考えない様なアイデアを求められる。世界に溢れるありとあらゆるお店の中で、自分のお店を他店舗と差別化する為に、普通では想像しない発想が必要なのだ。


 商店街でおでん屋を営なもうとしているオーナーは、浅草生まれで、今回計画している地域からご商売を始め、今では4店舗の飲食店を持つまでに至っている。その全てが場所は違えど商店街に面している。「言葉にできないだけで、人の欲求は単純ですでに持っているのだと思う」というオーナーは、商店街に潜む誰もが持っている懐かしい情景を経営に繋げたいのだと僕は理解していた。



「商店街で感じる、懐かしさと未来を表現したい」


 オーナーから頂いたオーダーは「商店街で感じる、懐かしさと未来を表現したい」。そんなオーダーをいただいたと同時に、「屋台を作りたい」と言われた。だからなのか、そのポテンシャルに気付かないのと同時に、オーナーがその考えに至った思考に追いついていけず、とにかく懐かしさと未来を屋台で表現する為にどうしたら良いか?を考えていた。


 僕が提案したのは、“昔ながらの屋根のある屋台=懐かしさ”として色も濃いめの色にする。“和モダンなデザインを施された屋台=新しさ”という定義をし、色も白木にする、というもの。形はほとんど変えず、デザインと色を変える事で懐かしさと未来を表現したらどうかというものだ。


 一発OKで良し良しと思っていたら、次に言われたのは既に大工がいるというもの。どうやって作ろうかと考えていた僕からしたら嬉しい誤算だったが、大工って頑固な人が多いから、合わなかったらどーしよーなどと思っていた。とにかくやるしかないと、教えてもらった番号に電話をしてみたところ、今は現場中なのか出ない。オーナーに「14時頃にお電話するとお伝えください」と頼んでおいたからなのか、3分後に電話がかかってきた。でも僕は電車の中で出れず、降りて掛け直したら、若そうな声の人が電話に出た。大工って言ったらおじさんをイメージしてたから戸惑っていたら、河島です、と言われてちょっと挨拶してから色々と専門的な質問が出てきた。まだまだイメージができていないから、今応えられるところを答え、なんとかその場を取り繕い、そう言えばこの人はどんな人なんだろうかと、今度は僕から色々と話題を振ってみた。





ものすごく繊細な河島さん


 そしたら、なんとなんと今は独立して一人で大工をやっているが、もともと神輿大工で宮大工になり、いまは大工をしていると言う。なーんと、僕も古民家を扱う会社にいたから、その話をして、今進めている古民家移築の仕事の話をしてみたり、おそらく20分ほどそんな話をしてから、図面できたら送りますねーと言って電話を切った。


 オーナーのファインプレーと共に、自分の運の良さに心の中でガッツポーズをしていた。電話中、改札の周りを大声で電話しながら行ったり来たりしていたから、見ている人は変な人だと思っていただろう。とにかく、そんな大衆の目を気にしないくらいのラッキーと、話した内容が的確で専門的で、細かさそうだから、とても期待が持てると言うものだった。オーナーに提案した案を何とかして図面化して早く河島さんに送らないと、と思いながら帰路に着いた。


屋台なんて作った事ないし、どうやら河島さんは何度か作った事があるみたいだから殆ど任せたいと思っていた中、主要な所はオーナーと話し合い、僕が描いたのは見え方とサイズ。技術的な部分は殆どお任せ、と言う意味で、そこまで細かいこと言わず、オーナーも河島さんを信用しているみたいだからお任せで大丈夫だと思う、と言う事をお伝えして図面を送った。


 どんな物ができるのだろうか、なんて人事の様に思っていたら、やっぱりそんな事はなく、河島さんは本当に丁寧に作る際の疑問点を、何度も何度も電話をかけてくれて、その都度イメージをすり合わせて行った。同時に河島さんの職人としてのプライドというか、真摯さを感じた。本当に作る事に手を抜かず、そんな所まで気を使うのかい、と言いたくなるくらいに色々とやり取りをした。





初対面から現場へ


 今まで電話のやり取りだけで、直接お会いした事が無かったから、深夜に搬入の為に現場で会える事を楽しみにしていた。22時待ち合わせで現場で待っていた僕は、こんばんはーと入って来た河島さんと初対面。やはり若い。お互いぎこちなく挨拶をして搬入をしてもらう。搬入にも関わらず鬼気迫るこの感じは、宮大工だからだろうか?とか思いながら、1時間ほどかけて屋台2体分の材料を搬入してもらった。


 終わって少し挨拶して、そこから色々とお話しをしてみたら、助手のような方が「1mm以下の住人」と言う言葉を使って河島さんを表現していた。これは面白い、と思っていたら、どうやら河島さんも僕の事を気にってくれていたみたいで、「いい人と知り合ったかもしれない」と奥さん言ってくれていたようだ。これはダメな奴だと思われてはいけないと、僕の今までの実績をお見せしてから、河島さんがどんな事を出来るかをお聞きして行くと、なんでも出来る事に気づき、これはすごい出会いだと思った。


 土台作りに3週間。現場での組み立ては1日。あの図面と電話でのやり取りで、どんな物が出来るかとワクワクしていたら、朝9時頃から始まる作業時には話をかけ辛いほど集中していて搬入の時とは比べ物にならない程、動きも速く無心で仕事をしている。ここはどうしますか?と言う質問にこちらも真剣に応え、と言っても設置する位置の事だけだったけど、それからと言うもの、今まで見た事のない程の素早さで屋台が組み上がって行く。用事があって昼前には外に出たが、夕方に戻ってくると既に作業は終わっていた。





 できたものは釘の一つもない、素晴らしい出来栄えの屋台だった。コンセントへの配線の出し方も色々と悩んだ挙句、殆ど目立たない配線の仕方をしてくれた。誰が作っても同じような形になるだろう屋台だが、その一つ一つの作業が丁寧であるから、野暮ったい屋台という形状のものに別の静謐さが宿っていた。腕の良い職人だけが作れる別のオーラー的な物なんだと思う。綺麗に作るだけでなく、そこに魂を込める、的なものづくりの頂点を見たような気がしている。


 本当はもっと追求していけば、木の組み方なども含めて違うものが出来上がるのだろうけど、コストや期間とのバランスを考えた中で出来上がったものに、僕はとても満足。ある著名なデザイナーは職人達と協業する事を中心におき、腕の良い人達を集めていた、と聞いた事があるけど、本当にちょっとした図面とイメージを伝えるだけで、ここまでの物が出来上がるのを初めて体験した。


 もちろん、その出来栄えを見たオーナーは大満足。オーナーが気にしていたカトラリーの引き出しも上手く取り付けてくれていた。



やっぱりこう言った技術は残して行くべきだと言う考えに至る


 やっぱり、凄いものは凄い。感想はそれだけだった。やり取りも含めて、本当に思っていた以上のモノができた。建築業界はここにまで至るには、図面のやり取りをものすごく大量に行う。それによって責任を回避し、職人は図面の通りに作る、デザイナーはオーナーへの確認を怠らない。オーナーは分からない中で決断を下していく。全てが神経をすり減らす作業の連続だけど、河島さんとの仕事は何か違った。




 古民家はデザイナー不在のモノづくりであった。大工の棟梁がデザイナーでもあり職人でもある。そこにデザイナーが偉いと言うヒエラルキーは無く、棟梁を中心として現場が進んでいったのだろう。そんなモノづくりは、高度に発展したテクノロジーと専門性が特徴の現代では難しいのだと思うけど、それに近しい事は職人によって可能なのかもしれない。もちろん、デザイナーは方向性を作る。現代のニーズを捉えた考えやディレクション能力を求められる。だからと言って、デザイナーが言う事が全てではない。それを咀嚼しカタチにするのは職人で、図面の通りであれば誰にだってできる。そこに、その職人だからこその何かが無ければモノづくりなんて面白くない。だからこそ、技術を頂点によるモノづくりは、今までの責任回避の縮こまったモノづくりを変える可能性があるのでは無いかと思っている。