おかんと一緒に暖簾をつくる


小林商店が手掛ける居酒屋の暖簾

親孝行


 最近、何かある度に実家に帰る事にしている。独立してからと言うもの、心配をかけてはいけないという思いと、40歳に近くなると(ベタだけど)昔に迷惑をかけたから、今のうちに親孝行をしておいた方が良いかもしれない、と思って事あるごとに帰るようになった。それからと言うもの、これもベタだけど、あまり仲の良く無かった親父との仲も良くなり、今では良い経営コンサルタント(元会計士)として色々と相談に乗ってくれる。


 そんな折、ひょんな事からTシャツをリメイクした暖簾を作りたいと言う事になり、おかんの登場である。おかんは元々、洋服の専門学校を出てルイヴィトンに入り、親父と出会い結婚。で、専業主婦になったけど、僕が子供の頃からミシンをしている姿をずっと見ていた。何十年と言う年月をずっとずっとミシンを使って何かしらを作ってきた無名のマイスターである。


小林商店が手掛ける暖簾

おかんに頼もうと思いたつ


 なぜ、おかんに暖簾を作ってもらおうと思い立ったか。キッカケは屋台を作っている時である。屋台に何かをぶら下げたい、と言ったらもちろん暖簾が一番だけど、新しい意味合いの屋台 (新屋台)を作るんだったら暖簾も少し変化を与えたい、と言うオーダーがあった。色々と悩んだ結果、昔のユニフォームだったTシャツをリメイクしようと言う事になり、短冊に見立てた暖簾を作ろうと。で、リメイクするとなった瞬間にミシンを毎日使っていたおかんの顔が頭に思い浮かんだのである。その時に思ったのは、日本のおかんの偉大さ、である。一番に思い浮かぶおかんの存在感に脱帽だ。そういえば、僕が今、こうやって建設業の仕事をしているのもおかんの一言に発端がある。「あなたは建築が似合うと思う」たったそれだけで建築学科を選び、今でもその関連の仕事をしているのである。やはり、おかんは偉大である。


 決まってからと言うもの、あまり時間がなかったので、その週末に実家に帰る事にした。暖簾の事を言って帰ったら警戒されるかと思ったので何も言わずに帰り(色々と疑われている)、ワザとらしくTシャツをこんな感じにしたいと頼んでみた。案の定「その為に帰ってきたのね」と言う一言はあったけど、何とか交渉成立。今度、美味しいご飯をご馳走する事を約束する。もちろんお駄賃も。


小林商店が手掛ける暖簾

年の功


 やっぱり、凄い。僕も手伝いながら作り始めたら、「Tシャツはこうなのよ」とか、「ここはどうするの?」とか、よくわからない事を言いながらどんどん進めて行く。もう目もほとんど見えていないと思うのに、これも年の功なんだろう。針に糸を通すところは僕の役目で、それ以外はどんどん進む。目が見えていないためか、ミシンで手を縫ってしまうのではないかと思う程、ミシン針に手を近づけながら、それでも物凄いフルスロットルでミシンをかけている。見ていて危なっかしくてヒヤヒヤするけど、酔拳のごとくのらりくらりと進めていくから凄い。一枚作ってコツがわかったのか、そこからは僕が布を切って、この布とこの布こうしたいと言う指示を出し、それ以外はおかんが作業する、というルーティーンで半日がかりで終わらせた。


 あっという間の事だったけど、夏の暑い日におかんと一緒に仕事ができて、これも親孝行と自分に言い聞かせながら、実は助けられていると言う構図は、いつまでたっても変わらないなー、なんて思いながら帰路に着いた。これは僕だけの感想かもしれないけど、出来上がった暖簾には何か温かい、おかんの愛情に包まれていた、様に思う。暖簾を飾る僕は単純に暖簾を飾るのではなく、皆んなに喜ばれろよ、とか考えながら飾っていた。本当に作ってよかったと思っている。


 おかんは偉大である。特に子供達はおかんに救われて生きている。僕もそうだった。今があるのはおかんのおかげである。そういえば、昔に「あなたは私の鼻くそなのよ」と何気なく言われたことがあった。今は本当にそう思う。それくらい、おかんは偉大である。


 世界には凄い技術を持ったおかんもいるはずだ。それも本当は世界の宝であり、残すべきコトの一つだと暖簾づくりを通じて感じていた。上手い下手ではない。世界は想いでできているのである。